日本煎茶の祖 永谷宗円

出生の地

永谷宗円肖像画永谷宗円は1680年、山城国湯屋谷村に生まれる。現在の京都府綴喜郡宇治田原町字湯屋谷にあたる。湯屋谷は宇治市街より宇治川を上流に8キロメートルあまりたどった宇治田原町郷ノ口を、さらに南東方向に約4キロメートル程進んだ所の、山あいの小さな集落である。

宗円の生家は、地元 の人たちにより改修され、当地に今もひっそりとたたずんでいる。屋内には宗円が当時、製茶に使用していた焙炉の跡も残されている。祖先永谷家は山城の国侍で、文禄元年(1592)湯屋谷に居を構えた永谷家弘に始まる。次第に山野を開拓し、農耕地を広げ、茶園を開いて製茶業を営むようになった。

家屋の前庭には大きな茶の木があった。幹の太さ3尺、高さ1丈3尺、枝梢の周囲3丈余りあったと伝えられ、わざわざ見物に足を運ぶ人も少なくなかったという。本家祖茗園に茶園の大木。丸り三尺有之昔咄し。

号一樹園 木の幹 凡二尺五寸
  一ノ枝 三尺
  惣高 一丈三尺
  丸り 凡五間

当時右ハ三代目の木と云。生葉ニテ十七八斤摘採、摘取又拾段の梯に登り摘之。(『古今嘉木歴覧』)と、記されている。この茶樹は明治五年の冬に枯死したが、その上部の幹は今も保管されている。その幹の年輪は実に600年余りになる。


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