永谷宗園茶店ホーム > 日本煎茶の祖 永谷宗円 > 宗円の人柄
宗円は自らが考案した青製煎茶の製法を惜しむことなく近在の人々に伝授していったようである。
翌年、宗円近隣へ製教し近村近郷迄も伝授せられける、家族共云ふ、「製茶時には人数に手支致すれば余り手広に教へ玉ふな」と申しければ、宗七郎(宗円)曰く「類を以て集の習、国中一般とも弘(ひろま)り終ば、外国より聞伝へ類輩入込、人数等に少しも不自由無之心配に不及」申され候(『古今嘉木歴覧』)
つまり、宗円が余りにも多くの人々に製法を教えるので家族が製茶時の労働者不足を憂慮したところ、当人は国中へ広まれば、次は(山城の)国外より習いたい人が来るだろう。少しも心配しなくてもよいと答えたという。
新製品の開発もさることながら、その技術を自分ひとりだけのものとせず普及に努めたことも、宗円の大きな功績といえよう。