永谷宗園茶店ホーム > 日本煎茶の祖 永谷宗円 > 宗円と売茶翁
黄檗宗の僧で、煎茶道の祖となる売茶翁高遊外は、寛保2年(1742年)の初夏、湯屋谷の宗円を訪ね、宗円の作った青製煎茶を賞味して大いに満足し、終日茶事を語り合ったという。『古今嘉木歴覧』には、売茶翁が初めて宗円の煎茶に接し、歓喜を持って筆を走らせた一文が記されている。
(前略)主翁永谷宗円、世を一室に留めて自園の新茶を煎じ出さる。奇成哉、妙成かな、初て試るに美麗清香の極品にして何ぞ天下に比するものらんや、未だ一碗を挙げざるに彼大福の名葉なるを知る。其上最も畏き旧説を拝承し、只今迄味わざるを嘆ず、終日珍談の席に身を離れて、数瓶数碗を傾けれバ、月は東山に昇り日は西峯に没す、逢来則爰(ここ)にありて今日の楽はひたぶる茶中の仙ならむ、かくは報じがたき悦びを短紙に述てあるじの心を慰而巳
寛保壬戌孟夏 | 売茶翁 |
高遊 |
大福の名葉とは湯屋谷近在の大福谷の銘茶園のことである。売茶翁がその後に売り広めた茶は、青製煎茶であったろうし、たちまちに京都近郊に宣伝されていったことであろう。文人たちの「青」「清」をイメージする煎茶趣味にもぴったり合ったと思われる。