日本煎茶の祖 永谷宗円

宗円以前の茶

宗円が新しい煎茶を編み出す以前に日本でつくられ、飲まれていたお茶は、どのようなものだったのだろうか。

武家を中心とした上流階級に当時持てはやされていたお茶は、覆い下でやわらかく育った新芽だけを摘んで蒸し、焙炉の上で乾燥させてつくった碾(てん)茶を臼で挽いた抹茶である。この抹茶製法の基礎は、栄西禅師が中国の宋から伝え、抹茶は室町時代以降、茶の湯の文化として全国に広まった。

一方、大多数の庶民が日常口にしていたお茶は、古葉と新芽を区別せずに摘採し、炒る、煮る、蒸すなどの殺青操作を加えた後、ムシロや揉み板に広げて手足で揉み(あるいは揉まずに)、天日で乾燥させるという方法でつくられていた「煎じ茶」であった。このうち、釜で炒り、揉み、乾燥させてつくったものは中国より伝来の「釜炒茶」、揉まずに乾燥させたものは「日干番茶」系統に属する。茶の色は「釜炒茶」は黄色や茶色、その他のお茶は茶色や赤黒い色で、今から見れば全く粗末なものだったのである。


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